主張・コラム 「余暇」

高山市国府町の高齢者の皆さんから請われ、寸暇を惜しんで草刈に励む芸術家・弓削さん

第3回 お気に入りの「私」を、探しましょう。

07年冬、飛騨高山のヤスダペンションに一泊した団塊世代・獅子の会一行

こんな話を先にする失礼をお許しください。

前回の「私のお気に入りの写真」ですが、探せましたか。

と言いますのも、いざ人生最終ステージの極まった段になって重要かつ必要となるのが遺影としてのポートレートなのです。

本人があらかじめ選んでおいてくれると助かりますが、そうは参りません。多くの場合が、遺族が見当をつけて探すしかないようです。世間的体裁が優先したり、いざとなると探す時間さえなく身近な写真が用いられる例が多いようです。本人からすれば不本意な写真が使われるかも知れませんね。

でもこうしたことを察知して、あらかじめ準備しておく人も近頃増えています。最後のお別れの「顔」なのですから重要です。そうした時の選択基準が「笑顔」なのです。現状の大半は、差し障りないところで、男性は仕事の背広か礼服、女性はその点、選択肢が多いのですが、やはり礼装の場合が多いようです。

さて話を、「私のお気に入りの写真」の件に戻しますと、仕事をしている時の顔の表情はどうでしょう。証明書用の顔、これもどうでしょうか。どうも笑顔という訳には行かないようです。

無理しても笑顔でなければならないサービス業は別として、一般事務系では仕事中に笑っていると不真面目とか、意欲に欠けるとか言われそうですね。しかも労働のイメージそのものが笑顔に遠いようです。

さぁ、そこで言っておきたいのが、私たちが本当の笑顔で居られる時間こそ「余暇(自由)時間」であると言うことです。

言わば笑顔は余暇によって作られると言って良いでしょう。遊んでいる時の顔、一休みして旅行を計画している時の顔、即ち、こうした笑顔こそ余暇を過ごしている時の顔なのです。

皆さんはどうですか。気楽な遊び仲間との集合写真の中の私、ビンゴーと言って賞品を貰う時の私、旅行先での私、どうですか、掛け値なしの笑顔ではないでしょうか。仕事優先の仕事顔しか出来ないのでは、人生は寂しいことでしょう。

仮に想定して、あなたの一日をあなたが密着取材してあなたの顔を写真に収めてみましょう。そうすることで、改めて、笑顔と余暇の関係を考えていただきたいのです。

世界の名画の中に肖像画がいくつもあります。威厳に満ちた顔、社会的重荷を一身に背負ったような顔、写真が発明される以前の顔です。画家たちもそうした依頼があればこそ生活が成り立っていたのでした。

そうした中での唯一の例外がレオナルド・ダ・ヴィンチの謎の微笑みとか、永遠の微笑とされる「モナ・リザ」でしょう。これはダ・ヴィンチが死ぬまで手元に置いて手を加えていた作品だと言われています。

売り絵ではなく、依頼作でも無く、彼の研究熱心さが遊び心となって、一日の仕事を終えての余暇時間の自らの楽しみから生れたものではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。(続く)




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