主張・コラム 「余暇」

高山市国府町の高齢者の皆さんから請われ、寸暇を惜しんで草刈に励む芸術家・弓削さん

第4回 私の歩めざる道、どこへ行く道

皇后陛下御歌集『瀬音』大東出版社 

 皇后様の御歌(みうた)に「かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ」と、確か、平成7(1995)年の文化の日のために、「道」の御題で詠まれたものと思います。

良い御歌だと思い手帳に書き留めておいたのです。

あの時、左か右かと定めかねる分れ道で、自分は一方を選んで歩んで来たのだが、今から思うと、もう一方の道はどこへ行く道であったのだろうか、と。

誰しもこうした体験をお持ちのことでしょう。そして正に今、追懐の思いに浸っていらっしゃる団塊世代も多いことでしょう。

しかし、追懐にばかり留まっては居られないのです。あなたの時間を、かの分岐点に戻して、もう一方の選ぶことのなかった道の可能性を探ってみてはいかがでしょう。

これも一つの道を懸命に歩んで来られた皆さんが、これからの「余暇生活」を考える上での重要なヒントなのです。

あなたにとっての「かの時」は「いつ」でしょう。

どこに設定するかは「あなた」におまかせするしかありません。これからの「余暇生活」を考える上で、その時に時間を巻戻して考えてみる必要があります。

あなたがやろうとして出来なかったこと、現実を優先させて夢を置き去りにして来た地点です。

今や「人生80年時代」となり、人生50年は昔のことです。単純に言えば、昔の日本人の寿命からすれば約二人分の人生をあなたは生きることになります。考えようによれば、歴史上最も幸福な地点に立っているわけです。

今あなたは、一人で二人分目の人生を手にしているからです。過去の人生、そしてこれからの人生が待っているのです。

確かに昔のような「若さ」は無いとしても、それにまさる人生経験と培った知恵があることでしょう。意欲と努力は何をするにしても必要なことです。

若いあの時に無かったものは、「お金と時間」だったことでしょう。そしてこれからのあなたにあるものは、有り余るほどの「時間」なのです。

夢で終わらせないためにも、何とかお金と時間をやり繰りして、「かの時」の一方の道をこれから歩みはじめるのはいかがでしょうか。これが今回の皆さんへの課題です。

より具体的に、夢みたいなことではなく現実的に、実行を前提に、かつての先の見えない不安な人生設計ではなく、余暇生活の時間としてです。

ただし、過去の思いに浸るのではありませんよ、くれぐれも御注意を。(続く)

 




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